かつてせっかく日本に呼ばれてきたものの、実力を十分に発揮出来なかった巨人の「トマソン」選手の名から命名したのは言い得て妙といったところか…。しかし、この彼(赤瀬川原平)の独特の世界というのは何と言ってよいのか、一度味わったらやめられないものがある。かく言う愚生も彼の世界観にハマッてからは、名古屋にまで「赤瀬川原平展」を見に行ってしまった。
1.20数年を経てわかること 2.文庫判と単行本の違いおすすめ度
★★★★★
この本の元になった赤瀬川原平の連載が白夜書房のウィークエンドスーパー、写真時代
で発表されてから24年ほどになるのだろうか。一時のブームにすぎないと思われた本書がこ
れほどのロングセラーになって刷数を重ねていると誰に想像できただろう。
トマソン観測は路上観察に発展解消したようなアナウンスが出版元から成されている。
ほんとうにそうだろうか。
無名な人達が発見のおもしろさに突き動かされて、ある者は煙突に登りある者は休暇を
とって街を歩き回った。美しいだけで全く役に立たないものの為に。
そんな有り様が赤瀬川の筆を動かし、独特な(異様と言ってもいい)ダイナミズムがあふ
れた本になっている。
内需拡大→地上げバブル にさらされた東京の町のナマな記録も本書の切り離せないバッ
クグラウンドとして色を放っている。
トマソンとは決して有名な先生達が頭でひねくり出した観念的な思いつき、平凡な物の
しゃれた見立てではなくて実在するものだったと20数年は証明しているのではないだろうか。
また美術・芸術とはなんなのかを美術を学び、志す人には問い直してくる青春の書でもあろう。
(さしづめ美術界のサリンジャー?)
なお単行本、白夜書房版は連載途中での出版のため文庫版
に入っている連載末期の内容は入っていない。写真も若干違いがある。
写真の印刷製版は文庫判がむしろ見やすい。
カバーデザインはどちらも平野甲賀。
本書の前にウィークエンドスーパーなどで連載していた「自宅でできるルポルタージュ」
をまとめたのが「純文学の素」であってその連載途中でいきなり「というわけでトマソンである」
と唐突に始まったと記憶しています。
芸術ってなんだろう
おすすめ度 ★★★★★
この本を読んで面白い!と感じたのは、私の頭の中に「第三の目」がぴょこっと出てきたような衝撃があったことだ。
実用化されている物件たちのはずが、全く意味を成さない、はっきり言って無駄、しかし丁寧に保存がされている。三振バッター・トマソン選手のように空振りし続ける物件たち。
それを超芸術だと赤瀬川さんはおっしゃっておりますが、では、そうすると芸術ってなんだろうと考えてしまう。この本を読んでから、芸術なんてやる必要があるのかなぁとよく考えます。