『太陽がいっぱい』と比べてみようおすすめ度
★★★★☆
元ネタの『太陽がいっぱい』と比べながら楽しむのもお薦め。
が、リメイクということを考えずに観ても、単独で楽しめる作品です。
『太陽~』に比べ、ニヒリズムな空気はなく、"自我の喪失"と"ゲイの描写"が増量。
また『太陽~』ほど、階級間の格差が、殺人の動機となっていないのは、フランスとアメリカの社会構造の差かもしれません。
そのため、ルサンチマンに駆り立てられていた物語が、本作では男同士の痴話喧嘩へと様相を変えています。
ただし、どのシーンも細かい描写は丁寧に計算されて作られています。
たとえば、最も象徴的なカットは、電車内の窓ガラスにグリーンリーフ(ジュード・ロウ)の横顔とリプリー(マット・デイモン)の顔の右半分が重なって映る描写。
同一化への強い願望。
リプリーの内面・人格がグリーンリーフのそれと入れ替わっていく。
しばしば、ガラスや鏡に映る自分を見つめたり、鏡の前でグリーンリーフの物真似をするリプリー。
自分の写像を覗きこむ行為とは、自分の内面を見つめ、アイデンティティを確認する行為。
しかし、リプリーは鏡の中に空虚な自分を見る・・・。
台詞も面白い。
「どうして男は殺し合いの遊びが好きなのかしら」というマージ(グウィネス・パルトロウ)のことば。
海で殺し合うまねをして遊ぶグリーンリーフと友人。オペラの中で殺し合う男たち。
次々と人を殺すリプリーの行為も遊び?演劇?
リプリーもまた、演じつづけることから逃れられない・・・。