そこには、まさに”図に乗る芸人”横山やすしがおり、幼少期からの数々のトラウマにより、深く複雑に屈折した人間が時流に乗り、芸人としても、頂点を極めるが、程なくして転落していく様がある。
私が一番印象深ったのは「親からどす黒い何かを受け継いでいるんじゃないか・・・」がまさに”図に乗れない芸能人”冷めた目を持つビートたけしの一言である。その一言が横山やすしを現しているのではないか?
最後の東京人による上方芸能論おすすめ度
★★★★☆
小林信彦は、自身も再三著書の中で述べているように、東京下町育ち
で青春を山の手で過ごした正真正銘の東京人であるが、その一方で
芸能・演芸好きの結果として関西言葉についても(ある程度の距離を
置きつつも)愛着を隠すことがない。その一方で、今やTVを制覇した
「似非関西弁」に苦言を呈するなど、東京文化の継承者としての批判
も忘れてはいない。本書は、小林の関西文化についてのそのような
スタンスを表現するかのように、関西人の目からすれば神格化され
がちな横山やすしの芸と人生についてひたすら冷徹な観察と小林自身の
やすしとの接触経験をもとにして書かれたものであり、単なる
一芸人に関する記録に留まらない、東西芸能文化比較論とも言うべき
好著である。なお、小林のもう一つの上方文化論と言える「唐獅子株式
会社」とも併読して、(映画化の際にやっさんの演じた)ダーク荒巻の
しゃべくりをやっさん風に想像してみるのも一興である。
横山やすしという名の孤独おすすめ度
★★★★★
横山やすし=1・「から騒ぎ」で鼻の頭を赤く塗り、水色のブレザーを着て女の子をどづく明石家さんま、2・太平サブローのモノマネというイメージが強い。
この本のすごいところは「何が『横山やすし』という人間を芸人とし,最後に孤独な死を遂げたか」というところに着目している。特に西川きよしさんが参院選に出馬し、当選してからの転落ぶりと、担当していた女性マネージャー(大谷由里子さん)に殴られてしまうというところをみると芸能界の恐ろしさを感じる。
笑いのカリスマだが実は孤独だったと言う姿に考えさせられた人も多い。さんまさんの笑い話も考えてみるといかにやっさんが孤独な人であるかを物語っている。
私は萩本欽一さんの「一度人気が落ちないと本当にいい仕事が出来ませんよ」という言葉に大同感。芸能界というのは挫折した人間ほど人のありがたみを知る。
しかし、横山やすしという芸人は一人で何かと戦い,孤独になった。考えさせられたのが彼の生い立ちの話で、飯島愛さん同様にすごいショックを受けた。
漫才ブームから25年になるが、この人は神話でもなく、伝説だと思う。
天才性と異常性を丹念に追った本
おすすめ度 ★★★★☆
自らの批評眼を持たない子供の頃、飲みながらテレビを見ていた父が画面に映る横山やすしを指して、「漫才は上手いんだけど...」「きよしがいるから...(やすきよは、もっている)」といつも言っていたのを思い出します。観る側の一般大衆にそうした巧さと危うさを常に感じさせた横山やすしを、著者が実体験も含め丹念に掘り下げた作品です。テレビの前に座っていただけでは判らなかった、彼の芸の凄みも人物の異常性も、きわめてくっくりと描き出されています。