ヨコハマを語るうえで必ず話題にのぼるのが「メリーさん」。ヨコハマに馴染みのない人やヨコハマ以外に住んでいる人にとっては、好奇心半分、一種のぞき見的楽しさ半分の意味合いから「都市伝説」というカテゴリーで語られているようです。でも、年代的には40代以上のヨコハマ地元民にとっては、彼女の存在は大変リアルな存在で、一度は遭遇した経験があるはずです。個人的には伊勢佐木モールで数回ほど「メリーさん」を目撃しましたが、プライドと気概に満ちた凛とした佇まいから、ただならぬオーラを感じました。周りの人も彼女の存在や人となりを理解したうえで、尊敬とまではいかなくても、激動の人生に対してある種の畏敬の念を抱いていたように思います。
映画化にあたって真っ先に思ったのが、どうか「好奇心」や「偏見」だけを切り口にしてほしくないという一点でした。「都市伝説」などというわかったようで実は意味不明なキーワードで括られることにはやはり抵抗感があります。しかし、本作品を見て、それはまったくの杞憂に終わりました。証言者によって淡々と語られる彼女とその周辺からの描写の裏側から、敗戦直後の日本の状況、ヨコハマが抱えていた特殊な状況、ヨコハマの「明」を担う伊勢佐木と「暗」を受け持つ日本3大ドヤ街のひとつ「寿町」と娼婦の町「黄金町」などとの対比が、鮮やかに浮かび上がってきます。日本のドキュメンタリー映画はなかなかヒットしないと聞きましたが、セールス面はともかく、内容的には秀逸の出来栄えだと思います。
2009年はヨコハマ開港150周年。当時は政治的に、対外的に“無理やり”開港したと聞きます。それでもさまざまな軋轢をはねのけて突貫工事で開港したヨコハマは、大きな恩恵を受ける一方で、さまざまな「負の影」も背負ってしまった気がします。その負の部分は、注意深くヨコハマを観察すると平成の時代でもさまざまな場面で実感されます。そうした歴史的な因果を意識しながら、なぜ彼女がそのような生き方しか選択できなかったと考えると、さらに理解が深まると思います。
見終わって、すぐもう一回見た。おすすめ度
★★★★★
入り口は、横浜の都市伝説見たさに入ってしまった。しかし見終わった際に、不思議な清々しさを覚えて、その清々しさを再び味わいたくて、もう一度見た。二度目を見た時にも、やはり同じような清々しさがあった。そんなドキュメントだった。
キーパーソンである「メリーさん」不在の中で撮影されたドキュメント。しかしメリーさんが不在でも、彼女を知る複数の人々の証言の中で、彼女の人間像が克明に浮かび上がってくる。
ガンにより余命残り少ないシャンソン歌手・永登元次郎氏にスポットを当てたドキュメントであるとも言える。彼のそれまでの人生に対する赤裸々な告白は、ある種の悟りすら感じさせ、崇高ですらある。
本当に優れたドキュメントであった。最後までメリーさんを謎の人にせず、健やかな老後を送っているのをきちんと描けているのも良い。彼女はカメラの前でしゃべってくれなかったのだろうが、元次郎さんとの会話の中で、一言だけぽつりと礼を言う。その肉声を上手く挿入できているのも良かった。映画を見ている立場へのフラストレーションを払拭できるし、あの一言だけで必要充分だった。
人は触れられたくない過去を隠して生きたい存在だ。その難しいテーマを、スタッフと登場人物の間の信頼関係の構築によって見事に乗り切っている。「仮面」を脱いだメリーさんの素顔は美しかった。恐らくそれが清々しさの理由だったように思う。
人間はどんなにしても生きてゆかねばならぬし、どんなになっても生きてゆけるのだ。元次郎さんの歌声に勇気づけられた。
語り継がれるべき女性の一生おすすめ度
★★★★☆
最近都市伝説がブームだ。ほとんどが実態を証明できない伝説が多い中で、こちらは正真正銘の生きた都市伝説。白粉の顔でレトロなドレスを身にまとい路上にたつ老婆の娼婦の物語。
舞踏家、カウンセラー、芸者、元愚連隊と横浜を生きた時代の証言者たちを通し、その特異な姿とともに、彼女の美意識や芸術に対する嗜好の高さも伺われる。
そして、戦後のアメリカ文化の息吹を感じる横浜だからこそ、彼女の存在理由もあるように思える。
横浜娼婦な証言譚
おすすめ度 ★★★★☆
白塗。真黒の目影。真紅の紅。貴族然の純白ドレス。
異様な風体で数十年間、伊勢崎町に立ち続けた娼婦“ハマのメリー”。
95年忽然と姿を消したメリーと縁ある人物を丁寧に取材した記録映画。
彼らの語りが都市伝説化したメリーを徐々に浮かび上がらせる。
娼男という経験と、母親をパ●パ●と侮辱してしまった後悔の念が、
メリーと懇意にさせ、再度彼女の前での歌を誓うシャンソン歌手。
世間の冷ややかな視線や民度を疑う差別に屈さず否、一顧だにせずも、
その風体は世間の心に焼き付けるためだったのではと、女性作家。
語りは証言者のみに任せ、証言部に『横浜ローザ』の劇中画を挿入し、
メリーを撮り続けた写真家の写真と実写を重ねる映像構成は秀逸。が、
質問者や撮影隊つまり制作者側の臭いを徹底的に排除すべきだったか。
噂、逸話、侮辱、伝説。縷縷と連なるその証言。
最後までメリー自身が語ることはなく代わり数々の証言が訴えたのは
敗戦を乗り越え、気品に満ち、誇りを忘れぬ女の生き様だった。
華やかな表の歴史の一方でもうひとつの横浜の歴史を紡いだ当記録に
メリーはその愛らしい声で労いの言葉を寄越すだろう。
「テンキュ」と。
概要
顔は白塗りで、身に付けているのはつねに白いドレス。戦後、横浜の伊勢佐木町に娼婦として立ち続け、「ハマのメリーさん」と呼ばれた女性がいた。1995年、そのメリーさんが突然、姿を消したことをきっかけに、中村高寛監督が彼女の真実を追いかけ、1本のドキュメンタリーになった。団鬼六、五大路子ら彼女にゆかりのある有名人や、服を預かっていたというクリーニング店の店主らの証言を織り込み、メリーさんをとらえたモノクロ写真とともに、その素顔を浮かび上がらせる。
街で出くわしたらギョッとするような外見のメリーさんだが、観ていくうちにどんどん親しみが湧いていく。プライドの高さ、恋人だった将校への想い。異様な外見にこだわった理由や、ビルの廊下で寝泊まりしていた事実などを、中村監督が精一杯の愛着でみつめるからだ。ひとりの人物像から、背景の時代が再現されるのも見事。メリーさんが最も親しくしていたシャンソン歌手で、末期ガンを患う永登元次郎のドラマがシンクロし、静かに終わりそうだと予感させる本作は、ラストで思わぬ急展開をみせる。その鮮やかな幕切れには、感動を超越した崇高ささえ感じさせる。(斉藤博昭)